自分で言わないキャッチコピー
郵政が民営化されたのをきっかけに年賀状利用の促進のキャンペーンが2007年末から展開されています。「年賀状は、贈り物だと思う」というコピーについて。
年賀状は、贈り物だと思う
このコピー、私はあまり好きではないのですが、その理由は、贈り物「である」「です」ではなく、「だと思う」という部分。年賀状を単なる挨拶状ではなく「贈り物」と表現するのはとても温かい感じがするし、文化としての一般論であれば、すんありと心にしみてくる言葉。
それを声を大にして言いたいんだけど(そして自分で言っちゃうんだけど)、『あくまで主観として「思う」だけなんです。第三者の人がそういっていましたよ』的な印象。
このコピーを初めて聞いた時、私の正直な感想は『「年賀状は、贈り物だと思う」って郵便屋さん自分で言っちゃうのか。しかも「思う」って…。あぁ気持ち悪い!!』でした。
自分で言っちゃう感
少し前の記事に、似た感覚のものがありました。
日経ビジネスオンラインに載っていた、サイバーエージェント須田さんの記事「彼氏が軽自動車に乗っていたらイヤですか?」の中で、記事の本筋とは関係ない部分ですが、引用させて頂きます。
ラジオから聞こえてきたヤナセのラジオCM。
「わたしは、メルセデスというクルマを選んだのではない。メルセデスとともに歩む人生、という選択をしたのだ」。
このラジオCMを聞いて、思わず「おいおい、自分で言っちゃったよ」と、独り言をつぶやいてしまいました。(中略)「いいクルマが好きだ。男ですから」というホンダ・オデッセイのCMも同様です。
メルセデスのコピーは非常に衝撃的だと思います。ホンダ・オデッセイのCMは私も最近見たのですが、思わず赤面しそうなコピーにとても残念な気持ちになりました。
自動車メーカーは、もうなりふり構わずやるしかない、背に腹は代えられないような状況だということが CM からも伝わってきます。
ほとんど CM なんてしない BMW が、最近は新型3シリーズのCMを流していて、しかもそれがブランドイメージもへったくれもない「直接的に高性能をアピール」する内容である所も同じことが感じられます。
これらと年賀状の例に共通するのは「自分で言っちゃう感」「我慢できない必死さ感」。
必死さを感じさせてしまうキャンペーンとうのは、時に消費意欲に水を差してしまう事は多いような気がします。
年賀状はなくなっていく運命なのかも
郵便局は2007年末からの80億円の広告費をかけたプロモーションにもかかわらず2008年の年賀状は前年比4.0%減とのこと。
2009年も AIRアプリやキャンペーンサイトなどかなり気合い入っているようですが、どのみちこのアナログな習慣は減っていくんでしょうね。
でもこういう文化的習慣って時代とともに変わっていってもいいと思うし、変わるべきだと思います。電子メールに変わったって、まったく必要なくなったって、それでいいものだと思います。
私は同年代の友人の中でもどちらかというとまだ毎年出す方なのですが、少なくともこうやってビジネスとしての販売促進キャンペーンされるのだけは嫌かなぁ。
よく出来たサイトにも、白々してしまう。
Posted on 2008/12/24IDEAS and TOOLS
