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子どもと情報について

情報リテラシーを身につけるということはどういうことか。子どもの携帯にスマートフォンとか。

ある少年の投書

少し前になってしまいますが、7月27日(日)の朝日新聞『声』欄に、14歳の少年によるこんな投稿がありました。

ブログについて
日記をつけることは良いことだが、
インターネットを通じてその日記を発信するのだから
悪用されると困るような情報や人を傷つけるような内容はいけないと思う。
(中略)
インターネットは多くの情報があって便利だが、
使い方を間違えれば人の人生を左右する恐ろしい道具になると思う。

ある程度インターネットを使いこなしている人には当たり前の内容かもしれませんが、そんな人であれば世の中にはこれが理解できずにいる人間が圧倒的多数であることも知っていることと思います。
これまでも、昨日も今日も、これが理解できない大人の事件は絶える事がありません。

この少年が一体どのようにしてこのような情報社会に対する姿勢を身につけたのか。
両親からか、また学校でそのような適切な情報教育がなされているのか、とても興味深く思った日曜の朝でした。

子どもに iPhone を持たせる

あるネット上掲示板でこんな内容の書き込みを見つけました。

私は子どもに携帯電話を買うことになった。
子どもはiPhoneがいいと言ったのでそれを買い与えた。
iPhoneに夢中な子どもは常にイヤホンをしているため、着信を逃さないので、iPhoneは正解だった。
そして最後に、子どもが更に iPhone を使いこなすよう、Howto 本が出ることを期待している。

この掲示板では「子どもには勿体ない」「子ども用端末と比較してどうか」という議論がなされていましたが、利用料金や操作性などが一番の関心事なのであれば、全くおめでたい親たちです。

私はそれがどんな物であろうと子どもが求めれば与えることは前向きに検討すべきだと思うし、iPhone を選択すること自体に何の問題もないとは思います。

しかしまず子どもの手のひらに広がる世界がどういうものか、どんな意味を持つかを理解し、子どもに情報を読み解く能力を持たせることが必須であると思います。(これを教えることは想像するより簡単なことではない)
残念ながらこんなことをネット掲示板に書き込んでいるような親に子どもに教えることができるような情報リテラシーは期待できません。

フィルタリングという『そもそも与えない』という考え方も本当は適切ではないとも思いますが、自動車免許とは訳が違うので政策としては致し方ないのも現実。何よりも始末が悪いのは『何の導きもなく与えてしまうこと』ではないでしょうか。

五感と感情に満ちたものになるはずだった子ども時代の大切な時間の多くを、その端末の小さな画面を凝視するために費やす事になるであろうその子どもに、私は同情します。

最後に、先に書いたような少年がいる一方でこういった大人も沢山いて、格差社会の格差とは情報格差(情報量の多い少ないの格差ではなく、それを読み解く能力の有無の格差)であるという言葉を強く思いました。

教室で小学生が iPhone を Jailbreak する傍らで、教師が児童から取り上げた iPhone のタッチスクリーンに四苦八苦する

こんなカオスな教室が現実となる未来はすぐそこにありますが、情報教育について本当に心配すべきは子どもではなく、適切な情報教育を受けないまま強力なインターネットツールを得てしまった大人なのかもしれません。

Posted on 2008/08/05EDUCATION

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