選択肢を減らす、機能を減らす、目に見えるものを減らす
いくら綺麗にレイアウトしようと、シンプルじゃないものはシンプルじゃない。
Webサイトがシンプルである為に必要なのは、色の多さとかレイアウトをする以前、情報設計をするもっと前に「要素」を減らす事である。
無限のスペースは実在するのか
WEBブラウザがスクロール機能を持っていることで、WEBサイトを作る人はそこに無限のスペースがあると考えるようになる。
せっかくWEBサイトを作るのだから、あれもこれも載せたい。あれもこれも載せるんだから、そっちもこっちも載せよう。採用するCMSではこんな機能もあんな機能もある。どれもこれもすごい感じ、あるとかっこいい感じ。
しかし、本当に無限のスペースがあるのだろうか。言いたいことばかり書き散らかされた広大なスペースに、忙しいユーザーはいちいち付き合ってくれるのだろうか。
ユーザーは基本的に急いでいる
人は実に様々な理由でインターネットを使うが、ほとんどの場合に共通するのは「何かを探している」ということ。
何か知りたいことがあって検索する。表示されたサイトの中から良さそうなものを選び、そのサイトの中で知りたい事の場所を探す。彼らにとってはWEBページが表示される1秒2秒の読み込み時間でさえもどかしい。とにかく、できるだけ速く知りたいと思っている。
(もちろん暇を持て余してただ当てもなくネットサーフィンする人もいるだろう。でもおそらくあなたのビジネスにとって彼らは重要ではない。)
目に見える要素が増えれば増えるほどユーザーの視線は迷い、気は散らされ、1つの要素への注意は薄れ、選ぶべきものを選ぶことが難しくなる。
受け手が選ぶべきものを選べない理由は、語り手が本当に伝えたいことを選べていないからに他ならない。
ユーザーに最も喜ばれることは、探している情報を他のどのWEBサイトよりも明確に伝えること。1つの情報に1つのWEBページを与え、そのページの中ではそれだけを伝える。1つ上の階層のページでは、格納されている情報を明示して選んでもらうことだけを考える。
種類の異なる全く別の情報へのリンクリストや、様々な検索機能や、自分のビジネスと無関係で大した収入もない広告は、思い切って消し去ろう。
全て消し去ることが難しいなら、本当に必要かどうかを改めて考え、リンク1つでも消し去ろう。1つでも。
それによって、本当に伝えたかったメインの情報が浮き出てくる。スペースの大きさや色使いの問題ではなく、相対的な情報量の問題である。
機能は少ないほどいい
CMSベースのWEBサイトが主流になってから得に問題なのは、あらゆる設計が見本として用意されたテンプレートに左右されてしまうことだ。
CMSの多機能化は評価基準の1つであることは間違いない。優秀なCMSほど拡張性を兼ね備えている。しかし、ブログシステムに代表される汎用性のあるCMSは「あったら便利そうな機能」として提案しているに過ぎない。
それを採用するかどうかはその都度決めよう。全てのページにタグクラウドが本当に必要かどうか、その都度考えよう。
情報設計は作業の1行程なのか
インフォメーションアーキテクトという言葉が再定義され脚光を浴びている中、とあるセミナーで、ある情報デザイナーがこんな事を言っていた。
「インフォメーションアーキテクトなんて職種は存在しない」
インフォメーションアーキテクトという役職、肩書きを見るたびに同じことを思っている。それはプロジェクトを通して全員の気配りを以てして初めて成功する概念であると。分業体制の中の1行程ではないと。
ディレクターがデザイナーに画面構成書・原稿を渡す。
「シンプルで分かりやすいサイトでお願い」
しかしそれらの書類がシンプルでなければ、デザイナーがいくら見栄え上のシンプルさを実現したとしても、出来上がるサイトは本質的にシンプルにはならない。
もっと前の段階に戻ってみる。
クライアントがディレクターに原稿を渡す。ディレクターが、インフォメーションアーキテクトと呼ばれる人が、いくらがんばってシンプルに情報設計をしようとしても、クライアントの事業がシンプルでなければ本質的にシンプルにはならない。
つまり、制作を担当する各プロフェッショナルが出来る事は多くあるが、最終的な出来栄えは関わる人全ての意識によって大きく振れるということだ。
日産、アウディのカーデザイナーを経て独立した和田智氏が著書『未来のつくりかた』にてこのように書いていた。
部屋の美しさはその国の文化レベルを示す
その街に住む人の部屋の美しさは、その街の美しさと比例します。
部屋は国の文化的なレベルを示すものであり、美意識の度合いを表すものとも言えるのです。
引用:未来のつくりかた アウディで学んだこと 和田 智 (著)amazon
自宅の部屋や職場のデスクを常に綺麗に保つ能力は、その人の性格の現れであり1つの才能であると思う。形を持たない情報を整理することは、普段の生活をよりよくするためには必要な作業なのだ。
これは学んで習得できるものではなく、向き不向きのある難しい作業だと言えるだろう。
極端に言うならば、本当に整理された情報設計を実現するためには、プロジェクトに登場するクライアント、ディレクター、デザイナーの職場のデスクが綺麗に整理されている必要があるかもしれない。
まとめ
実際の制作現場から目を逸らさなければ、これらが理想論であることは否めない。
紙媒体のチラシよろしく、スペースさえあれば情報を詰め込みたくなる気持ちはどうしても先行してしまうし、かといって予算があり、タイトなスケジュールで動くプロジェクトを進める中でクライアントと「シンプルとは何か」を論じている暇など無い。
しかしながら、Webサイトの構築作業が、クライアントが自分たちのビジネスを整理し、構造的に可視化する初めての体験になるということは少なくない。
このような場合では、サイトを構築することを通して成果物以外にいろいろな発見、ヒントを見つけるための頭の超整理体験を提供することができるかもしれない。情報を可視化するウェブサイトの完成度はクライアント社内での意思統一においても非常に重要な資料となる。そういうものを作ることができれば、エンドユーザーにとっても有意義なものになるだろう。
インフォメーションアーキテクトという役割があるとすれば、それは制作現場でのサイトに対しての働きかけではなく、クライアントとの対話の場で人間に対して働きかけるものであるべきだろう。
(最も重要なのは、何が最も重要なのかを見極めること)
あとがき
久しぶりのブログが、いまいち要領を得ない長文になってしまった。しかも少し偉そうだ。その辺りは、この猛暑による思考能力の低下ということで大目に見ていただきたい。
Photo Creits:
- Ryoanji Temple- Kyoto By Flavio@Flickr
- Road to… By Absolutely Simple
- Ryoanji Temple in Kyoto By mrhayata
- Tea Room/茶室 By Yuki Yaginuma
Posted on 2010/08/06IDEAS and TOOLS WebDesign
2 Comments
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Takeshi [ROSTRATA] | Posted on 2010/08/24
コメントありがとうございます。
訪問者に何を知って欲しいのか、何を体験して欲しいのかを明確にしてストーリーを作るという作業は今とても重要視されていますね。
各工程にそれに特化した専門家を配置する分業体制では、シナリオライター的な立ち位置の人がいないと、単に綺麗な俳優さんを美しく撮っただけのドラマ、もとい、単にかっこいいウェブサイトができるだけになってしまいます。
このエントリーでは極端なことを言う事でぼんやりと考えている事を表現しようとしているので少し刺がありますが、肩書きが何であろうと「その辺のことを考える誰か」は必要だと思っています。
※WEB業界では会社規模(≒案件規模)によって現場の様相は全く違っていて、同じ肩書きを名乗っている人でも会社が違えば求められる業務も全く違うということが多いように思います。(業務の多様性に対していちいち適切な肩書きがないということかもしれません。)
なのでIAとは、WEBディレクターとは、という定義の話はあまり意味がないのかもしれませんね。
いつも楽しくそして潔いご意見とデザインを楽しませていただいております。自分もIAを標榜するひとりですが、言われていることは、日々感じております。
ちょっと違うところがあるとすれば、客にサイトの目的を明確に意識して頂くためにわかりやすいコンバージョンを設定することでしょうか。出している情報を全部わかって欲しい、ではなく、最低これだけはアクセスした結果をユーザーが持ち帰れることを明確にする。
そのためのストーリーを組立てる。ドラマならシナリオライターでしょうか。シナリオができたあとは、デザイナーのデザインと、ディレクタの演出、プログラマの仕掛けにまかせます。そんな倉本聰的なポジションですかね。